宮古島に移住して、1年が経とうとしています。
今のところ、楽しい毎日を過ごしております。
しかし移住する前は、沖縄の風土に合うだろうか、地域に溶けこめるだろうか、仕事はうまく行くだろうかなど、いろいろと不安がありました。
移住したことで、今まで気づかなかったことに「気づかされて」しまいました。
このブログでは、私が実際に体験していることを通して、故郷とは、コミュニティとはなんだろうかと、皆さんと共有していきたいと思っています。
群馬県の実家を出て、これまで大学や会社、家族を優先して引っ越ししてきましたが、自分で住む土地を決めたのは、今回が初めてです。
人が移住するとき、土地や環境、仕事や人脈など、どこに重きを置くかはそれぞれに異なるでしょう。
私が宮古島を選んだ理由は、海の近くで、自給自足ができ、医療体制も整っているなど、いくつかのポイントがありました。
ご縁あって元区長さんや移住者の方々と仲良くなれ、コミュニティができたことも大きく関係しています。
移住のターニングポイントになったのは、沖縄の南城市をドライブしていたときです。海を見下ろす高台に立ったとき「こんなところに住んでみたいなぁ」と感じました。
同じ通勤1時間でも、ラッシュの電車と海辺のドライブでは、まったくストレスが違いますよね。
「今日を人生最後の1日だと思って生きなさい」という言葉があります。
私もそう思って生きている「つもり」でした。
しかし、「思っている」ことと「本当に最後」はまったく違うと気づかされました。
宮古島に移住するため、それまで住んでいた横浜での仕事や生活、持ちものや人間関係には区切りをつけなければなりませんでした。
横浜での最後の日々は寂しいものでしたが、同時にとても充実した時間でもありました。
自分にとって何が大切なのか、見直す良い機会になったようです。
もしかしたら、人は自分を追い込むことで、何かを得るのかもしれません。
横浜で経営していたパーソナルジムです。
生活も仕事も満足していましたが、友人に譲ることにいたしました。
私は群馬県の実家が嫌いでした。
周りは山ばかりで、造成団地のため、先祖代々の土地でもなければ、これという歴史もありません。
大学入学以降、ほぼ神奈川に住んでいましたが、何かあっても群馬に帰るという選択肢はありませんでした。
ところが、宮古島に移住して、群馬県の実家に帰ったとき、「山がきれいだな」「群馬も良いところだな」と感じる自分がいたのです。
それは、「私は群馬が嫌いだったのではなく、ただ親に反発していただけだった」と気付いた瞬間でした。
誤解のないように書きますが、父、母ともに良い両親であり、高田家に生まれてよかったと思っています。
私は仕事でカウンセリングをしていますが、悩んでいる人の原因の多くは、ご両親との関係性か、ご両親より譲り受けた潜在意識にあります。
まさか自分がそうだったとは思いもよりませんでしたが、人は玉ねぎの皮のごとく、剥いても剥いても真実にはたどり着けないようです。
無意識を意識しない限り、
それはあなたの人生を支配し、
あなたはそれを運命と呼ぶだろう。
「災害が起こりやすい」という場所があります。
豪雨で浸水しやすい、傾斜で山崩れしやすい、地震で津波が来やすいなどです。
自分の子や孫が被害に遭う可能性があるのに、なぜそんなところに住み続けるのか疑問に思っていました。
しかし宮古島に移住したことで、その理由がわかったような気がします。
自分の周りに、自分と自分の人生を知っている人がいることは、「自分が確かに生きてきた」ということを証明してくれます。
移住すると、自分の人生をリセットするような感覚になり、自分がどんな人物であるか、これまでにどんな出来事があったかを知る人が、周りにいなくなります。
「子供のころ、こんなことがありましたよね!」
「?」「私はしりません」
自分が生きてきたことが、希薄になる感じがわかりますでしょうか。
生まれた土地に住み続ける価値を、ようやく理解できた気がします。
宮古島の祭りでお年寄りが踊るクイチャー(カチャーシー)です。
皆で楽しそうに踊る姿を見て、同じ土地で生きていくことの素晴しさを感じました。
宮古島は沖縄ではないと言うこともよく分かりました。
京都の人が「ああ、大阪ですよね?」といわれて良い気はしないでしょう。
もともと言葉もまったく違いますし、独自の文化や風土があります。
宮古島市総合博物館を訪れると、宮古島の成り立ちや歴史について詳しく知ることができます
移住してもっとも変わったのは、日々「多幸感」を感じるようになったことです。
きれいな海や緑、ここち良い風や鳥たちなど、「ああ、気持ちいいな、しあわせだな」と感じる瞬間が増えました。
もちろん良いことばかりではなく、照りつける日差しや、すぐ伸びる雑草、湿気でなんでもカビるし、昆虫天国でもあります。
何というか、仲間はずれにされているような疎外感がないのです。
自分も自然の一部であり、「ああ、私も生きていて良いんだ」と、受け入れて貰っている感じがするのです。
私の住んでいる島は人口150人ほどです。
顔を合わせたり、車ですれ違ったときは、手を振って笑顔で挨拶します。
畑でとれた野菜をいただいたり、道路や御嶽(沖縄で祭祀などを行う場所)の掃除は皆で力を合わせて行います。
そんなこともあって、全員が知り合いのような感覚になります。
私の好きなアルフレッド・アドラーの言葉で、「共同体感覚」という言葉がありますが、まさにそれだと思います。
自分の周りは敵ばかりと思うのか、それとも仲間だと思うのか。
この違いは本当に大きいような気がしています。